仙台旅行番外編 |
|
|
七夕まつりから一夜明けて、8月9日。 仙台駅から高速バスで1時間半かけて、登米市にある「石ノ森章太郎ふるさと記念館」へ行きました。
8時10分発のバスに乗りたかったけど間に合わず。 とりあえず仙台駅のコインロッカーに荷物を預け、高速バスの券売機を探しました。 あちこち歩き回ったところ、結局バス停のすぐ近く、百貨店の前にありました。 灯台下暗しとはまさにこのこと。前日に場所を確認しておけば良かった
1時間に1本のバスで登米市役所に到着。 歩いて行こうか迷ったけど、行きは絶対に迷う! という妙な確信があって、 記念館のホームページで紹介されていたタクシー会社に連絡したところ、ほんの3分くらいで来てくれました。 とても気さくな運転手さんで、兵庫から七夕まつりを見に来たついでに記念館に行きたいと思って、と言ったら、「登米に来たならぜひ米をおみやげに買っていって!」とおすすめしてくれました。 帰りのバスに乗った時に気付いたのですが、確かに水田が多いところでした。
記念館の入り口では009がお出迎え。
| |
|
道を挟んだ花壇では、仮面ライダーが「この町の守りは任せろ!」と言わんばかりに決めポーズ。
ここに来た理由は、特別展で『天空の城ラピュタ』『火垂るの墓』『もののけ姫』などの背景を手掛けた山本二三(にぞう)さんの原画展が開かれていたからです。 実は『世界樹4』の背景画も手掛けていらっしゃって、『世界樹』公式ツイッターでこの特別展の開催を知り、 「兵庫から行くのは大変だけど、仙台からなら近いよね!」 というノリで行くことを決めました。 今回の仙台旅行は、ジラーチとこの原画展に連れてきてもらったと言ってもいいかもしれません。
『世界樹4』の広報イラスト(草原の向こうに大きくそびえる世界樹)や深霧ノ幽谷、絶界雲上域の原画が見られて大興奮。 『もののけ姫』のシシ神の森の描きこみに感嘆したり、 (水面の映り込みを描くために、倍の時間がかかったとか) 『火垂るの墓』の「降魔色」で描かれたイメージボードから、戦争の恐ろしさや犠牲になった人々の無念が伝わってきたり、 濃密な時間を過ごすことができました。
雲を描くのが下手だったからひたすら練習したとか、 森を描くために日本の森の成り立ちから調べて、生態系まで考えて描いてるとか、 『時をかける少女』の主人公の家の、画面に出てこない部分まで設定してるから、キャラクターにリアリティが出てくるとか、 下手な仕事をすると次がないから、いつも全力を尽くしてるとか、 そんな話が印象に残りました。
恥ずかしい話、『もののけ姫』と『火垂るの墓』はテレビで流し見しただけ、 『ラピュタ』『時かけ』は見たことがない…という体たらくなので、 せっかく『世界樹』の縁で素晴らしい原画と、背景画のプロとしての心意気に触れることができた機会に、じっくりとDVDで見てみたいなと思いました。
受付で販売されてたクリアファイルとポストカードに『世界樹4』のがあったのが嬉しすぎて、つい全種類買い揃えてしまいました。 受付の人に「きさま、ボウケンシャーだな!」とか思われたらどうしようとビクビクしつつ
石ノ森先生の常設展も見てきましたが、こじんまりとした記念館ながら、見る人が見たら一日中飽きなさそう。 床一面の年表を眺めるだけでもワクワクする。 手掛けた作品数の多さに脱帽するばかり。 そういえば、石ノ森先生って『ゼルダ』の漫画も描いてたっけ。アメリカ向けに描かれたものが、後で日本語に訳されたものを読んだ記憶がある。 生家の模型の仕掛けには、年甲斐もなくときめいてしまいました。 仮面ライダーやロボコンといった石ノ森キャラが、テーマ曲に合わせて次々と登場!
奥の部屋で放映されてた『小川のメダカ』のアニメは、切ないけれど温かな話でした。 目まぐるしく移り変わる世の中で失われていく愛しい風景と、それでも変わらない親が子を思う気持ちとの対比が良かった。
記念館を一通り見終わって、高速バスが来るまでまだ時間があったので、すぐそばにある石ノ森先生の生家を見学することにしました。 折よくボランティアとして年配の男性がいらっしゃって、石ノ森家の話からこの地区の歴史まで、色々なお話をうかがうことができました。 お母さんが雑貨屋さんで、お父さんが公務員で後に教育長まで務めたほどの方だとか(それで当時では珍しく、我が子に立派な勉強机といすをこしらえたとか)、 十畳が3つつながった大広間や、廊下が広間をぐるっと取り囲む形は、裕福な家の証だとか、 小川が家のすぐそばを流れていて、夏には蛍が飛んでいたとか(現在は埋め立てられて、雑草の手入れが大変だそう)、 「石森」は「いしのもり」と読むのに、他所の人はなかなかそう読んでくれないとか、 この地区は昔は小さいながらもお殿様がいて、立派な蔵の建ち並ぶところで、七夕まつりもやっていたとか。 (小さな町でも人々が誇りを持っていて、洗練された文化を持っているのかなと感じました。) 一番印象に残ったのは、石ノ森先生が漫画の構想を練る時に使っていたという、巨大なゆりかごみたいな回転いす。 あれに入ってゆらゆら揺れてたら、確かに自由な発想が生まれてきそう。
登米市役所に戻る時も、行きと同じタクシー会社にお願いしました。 今度は、行きの時よりも年配の運転手さんで、震災の時の話をしてくださいました。 震災の時は歯医者さんにいたけど、あまりの揺れに怖くなって外に飛び出して、立っていられなくて四つん這いで耐えたとか。 余震が怖くて、揺れるたびに車で待機して、なかなか家に帰れなかったとか。 橋がボロボロだったけど、夏祭りまでになんとか直したとか。 マンホールが40cmもずれて、道にぽっかり穴が開いているので夜に走るのが怖かったとか。 登米市役所の周りも、つい昨年までは道がボコボコだったとか。 「もっと早くに来てほしかった」と言われたような気がしました。 今回、震災の爪痕を生々しく感じるような場面はなかったのですが、まだまだ元通りの生活とはいかない人もきっとたくさんいらっしゃるのだろうと思いました。 せめて、何かできることを考えないといけない。 募金とか、東北のものを買うとか、少しずつでも。
行き当たりばったりな3日間でしたが、初めての東北は楽しかったし勉強になったし、行って良かったと思います。 ぜひまた行ってみたい。宿題も色々残ってるし。
| |
|
2014年8月17日(日)02:36 | トラックバック(0) | コメント(0) | ひとりごと | 管理
|